神奈川新聞隔週連載・岡田監督のコラム「ふっと ライフ」第五回

・「美しい生き方」追求
 私は、基本的にシーズン中に講演の依頼は受けないのだが、先日、国土交通省で新人研修の講義をしてきた。「キャリア」と呼ばれ、将来高級官僚や政治家などになって、この国を動かしていくであろう若者たちだ。
 最近、今までには考えられなかったようなモラルの欠如による事件や事故が起きている。特に国土交通省耐震強度偽装問題やJR脱線事故などで注目されている。

 こういう場合、とかくマスコミは、行政の管理体制や法律の不整備を取り上げる。それも大切だろうが、本当の問題はそんなことだろうか?
 管理体制を強化し、罰則規定を整備しても、必ずその管理体制をすり抜けたり、抜け道を見つけたりする者が出てくるものである。そして、悪いことに、そういう人たちには、達成感こそあれ「悪いことをした」という罪悪感がなくなるのである。つまり、ますます複雑で目に見えにくい、モラルの欠如した社会となる。

 今、大切なことは、多くの人が言い始めているように、「志」を持つことだと思う。

 これは、池宮彰一郎氏の著書「義、我を美しく」の中に書かれているが、「志」という漢字は「士」の「心」と書く。つまり武士の心である。そして、武士の心とは「忠義」だそうだ。ここでは「忠」の説明は省くが、「義」という字は、「我」と「美」に分けられる。つまり武士は「我美しく」生きたということだ。

 ウシオ電機牛尾治朗会長によると、経済状況が悪いとき、人は「損か得か」で物事を判断し、良くなると「好きか嫌いか」、ピークを過ぎて落ち目になりだすと「正しいか間違いか」で判断するそうだ。そして、この「正しいか間違いか」の価値基準のときが、一番危険である。なぜなら間違いを排除しようとするからだ。しかし、本来絶対的に正しいことなど存在しない。

 そんな中で、私は新しい価値基準として「美しいか、美しくないか」というものがあってもいいのではないかと思っている。「この生き方美しいか?」「こんなことして美しいだろうか?」

 そして、なかなか勝てない苦しい状況での私の「美しい生き方」とは、「これくらいでへこたれてたまるか。はい上がってやる」である。あまり美しくないか。

神奈川新聞より)